2013年4月24日水曜日

靖国論。

麻生副総理らが靖国神社に参拝したことで、また国内外でそれを批判する声が強まり、またしても外交的問題になりつつあります。僕自身、毎年1度は靖国神社に参拝することを決めている人間であり、事実2009年以来毎年参拝し続けています。日本の政治家があそこに参拝することそのものを悪いことだとは思いませんし、そうした意味では意味で麻生さんらを批判するつもりはありません。

しかし、ここからが重要なのです。1つにはつまり、靖国神社に参拝することの意味を正しく説明していくことを普段からしているか?ということです。恐らく殆どしていないでしょう。二度とあのような戦争をすることにならないように、そしてアジアと世界の平和を祈って靖国神社を参拝しているのだということを、もっと内外に訴えていかなくてはいけないのです。それを碌にしないで急に参拝するから誤解を受けてしまうのです。(というかそもそも、自民党の方々の中には、わざわざ中国や韓国などを煽るために参拝しているような印象の方々も居て、そこは僕としても大いに不愉快です。)

そして2つ目には、この問題が非常にナイーブなものであるということを理解しなくてはいけないということです。今年2月のエッセイ10連発の1つである「復亜論」の中で僕は、「この世の中には合理的・論理的な見方だけでは判断できない(説明できない)ものが沢山ある」と言ったのですが、これにも同じことが言えるんです。我々にとって靖国参拝というのが’説明できない何か’のためであり、欠かすことのできない大切なものであるとすれば同時に、中国や韓国にとって靖国神社は(事実とその捉え方に多少の乖離があるものの)未だ暗い過去を思い出させる何かであり、そこに日本の政治家が参拝するということに対してやはり‘説明できない何か’を感じるのです。

これは一朝一夕でどうにかなるものではありませんし、よしんば話し合ったところでどこまで共有できる価値観なのかどうかすら分かりません。なんせ論理を越えた‘神と神のぶつかり合い’なのですから...。だからもし、現時点でその共有が難しく、本来意図したところでないにしても軋轢を生んでしまうというのであれば、少なくとも公人として参拝するのは控えた方がいいのではないかな?というのが僕の持論です。

愛国心というのは言えば勇ましいものであり、煽れば盛り上がるものです。しかし政治家がこれをやるときは碌な事が無いのが世界の常識であり、事実歴史はそれを幾度となく証明しています。そもそも僕に言わせれば、不平等条約然としたTPPを強行し、国土を汚す原発を未だ盲信する自民党の政治家が、それでも自分を保守だと言い、英霊に顔を向けることのできる神経が分かりません。合わせる顔が無いとは思わなかったのでしょうか?僕だったら絶対出来ません。(というかもし士道に背くような真似をしたら僕はのうのうと生きているようなことはせず、潔く死んで詫びます。)

要するに彼らの言う「愛国心」というのは何かを隠すためのフェイクであり、そんなものはイミテーションでしかないということです。国益を蔑ろにし、国民の生活を破壊し、更に神から譲り受けた国土を汚しておきながらよくもまぁおめおめと靖国参拝なんて出来たものです。そんな人たちに英霊の前に立つ資格はありません。もしも参拝したいのであれば、TPPから離脱し、脱原発を実現し、アジアの中でイニシアチブを執っていく覚悟が定まった時にして下さい。今の自民党(※公明党は元より、維新の会もみんなの党も民主党も自民党と見なします)の政治家がさも神妙な顔で靖国を参拝しているのは極めて不愉快です。

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