2016年3月12日土曜日

2016年度の研究テーマ

こないだの記事で僕は来年度の研究テーマについて「伏見に関するもの」といっていたのですが、それは具体的に言うと商店街について研究なのです。伏見桃山の商店街を主たるモデルケースとして、サスティナブル(持続可能ないし維持可能)なまちづくりのあり方について考えてみようというのがその主題です。しかしそもそも商店街とはどういうものなのか。或いは僕がどういう問題意識の下に取り組もうとしているのか、それを今日は明らかにしたいと思います。というのも丁度とあるメディアの市民記者というものに僕は今応募しているのですが、その課題の1つとして書いた文章を提示したいのですね。(※課題文は2つで、そのうち1つは公開済みのものでも可とのことです。)

商店街の再興
 
 私が住む伏見桃山には多くの商店街が点在している。中でも目を引くのが伏見桃山だ。ここにはメインストリートとも言うべき大手筋商店街を中心として複数の商店街がひしめき合っている。それぞれの商店街がそれぞれの性格を有しており、そしてそれぞれに賑わいを見せている。

 もっとも往時の賑わいは今の比ではなかったそうだ。「昔は大手筋だけでも幾つもの映画館があって人の通りももっと多かった」、酒場で隣り合わせた年配の男性は寂しそうにそんなことを言っていた。郊外の大型シネマコンプレックスが主流の現在では想像もつかないことだが、昔は映画館が町ごとにあったのだ。しかしそれらの多くはその後の経済・社会構造の中で姿を消すこととなり、現在桃山に映画館は1つも残っていない。商店街も同様の流れの中で淘汰された。幾つもの店が姿を消し、全国にいわゆるシャッター通りを量産した。商店街はもはや旧時代の遺物となってしまったのであろうか。



 いや、そうではない。それを裏付ける出来事が5年前にあった。東日本大震災後の被災地で復興が早く進んだのは商店街のある地域だった。地元の人の活気に加えて外部ボランティアが惹きつけられたのがその要因だったという。商店街には人を惹きつける何かしらの魅力があるのだろう。それは伏見桃山の商店街に足繁く通う私にも何となく分かるものがある。それは何なのか。私は1つには町への愛情の強さではないかと考える。商店を営む人は勿論のこと、そこを往来する客の方も概して町に愛着を持っている。それゆえ街の賑わいのために何かしようという動きも活発だ。たとえば桃山の商店街では酒蔵が周囲に点在する土地柄もあり、日本酒関連のイベントがしばしば行われており、そうしたイベントの際にはチェーン店やコンビニも出店を出す。また付近に大学があることから、学生との協働企画も多く催される。2つ目には人との距離の近さがあるのだろう。スーパーマーケットやコンビニで店員と話すことはあまりないが、商店街の店先では何気ない世間話が弾む。「最近寒いね」とか「これ美味しいよ」といった他愛もない会話をすることができる。これは画一化・マニュアル化を免れた個人商店ゆえの魅力であり、現代社会に欠落している暖かさなのかもしれない。商店街には社会構造の変化の中で失われた大切なものが息づいている。そしてそれこそが商店街の持つ最大の武器である。
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・これは竜馬通り商店街(撮影は先月)

キャパが1000字ということで、ホントに触り程度の内容にはなってしまっているのですが、とかく僕はそういう価値観の下で研究&取材を進めていきたいのです。京都近郊には伏見桃山以外にも特色ある商店街が点在しているので、そうした場所にも足を運んでみたいと思います。まぁそういうことなんですが今日はもう1本書きたい記事があるので、この辺で一旦失礼したいと思います。

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